葛洪(かつこう)
(道教医学の祖となった神仙家)
「葛洪」"かつこう"
{283年〜343年}
葛洪は、神仙思想の集大成を行うとともに、
煉丹秘術の探求に努めた晋代(265年〜419年)の
道士である。
彼は若い頃、武功を立てるが、
煉丹秘術への思いを捨てがたく、
丹砂 (別名として"賢者の石") が発掘できる
交址(現在のベトナム)に向かった。
しかし、広州まで来たとき、
時の長官がそれより先に行くことを許さなかった。
葛洪はやむなく羅浮山 (らふざん) にとどまり、
煉丹を研究し、『抱朴子』(ほうぼくし) の執筆に
専念した。
20歳のときに書き始め、34歳で完成した本書は
神仙道、仙薬処方などを述べた内篇20巻と
儒学思想を綴った外篇50巻からなる大著。
金丹 (仙人になれるという仙薬) をつくるための
雄黄、丹砂などの鉱物、不老長寿薬のための
五芝、ブクリョウ、地黄などについて記載されている。
本書の意義は、道教の理論構成を初めて明らかにしたところにあり、彼によって道教医学が完成したと言っても過言ではない。
葛洪は道教究極の姿である
尸解仙(もぬけの殻のようになること)
になって亡くなったと伝えられる。
81歳であった。