張仲景(ちょうちゅうけい)
(民衆を啓蒙した漢方薬の始祖)
張仲景"ちょうちゅうけい"
{145または150年〜208年}
「華ダ」とともに、
後漢の二大医聖といわれる。
河南省南陽県の人で、彼が著した
『傷寒雑病論』(しょうかんぞうびょうろん)は
漢方の古典として現在でも名高い。
本書を著した動機は、
建安年間の流行病で10年間に身内の3分の1が
死亡したためと、序文に書いている。
張仲景は名医・張伯祖に医学を学んだ。
張伯祖(ちょうはくそ)
から伝授された医術をもって、張仲景は民衆に対し、病気にかかった時には当時さかんに行われていた迷信や呪術を排し、正しい治療を受けるよう教育して回った。
彼が提唱した急性病の経過を解説した
『三陽三陰説』(さんようさんいんせつ)
病を鑑別診断するための
『八鋼理論』(陰陽・表裏・寒熱・虚実)
この二つは現代まで踏襲されている。
彼は薬剤を飲みやすくするために
丸剤、散剤、軟膏などもつくった。
書物ではほかに
『金匱玉函方』(きんきぎょくかんほう)がある。
だが、現在伝わっているのは
北宋の「王洙」(おうしゅ)が編纂した
『金匱要略』(きんきようりゃく)
のみで、『傷寒雑病論』が急性病を扱っているのに対し、こちらには慢性病が記載されている。